鏡リュウジ著『鏡リュウジの占星術の教科書』を購入

投稿者: | 2018年12月12日

鏡リュウジという存在

占いに興味がない人でさえ、鏡リュウジという名前は知っていることでしょう。
競馬に興味がなくても武豊という騎手を知っているように。

最近は本人も公言しているようですが、京都の御曹司にしてICU卒業で英語堪能と、あらゆるスペックが高い人です。占いの業界で執筆等は高校生の頃からだったか、中学生の頃から海外の占星術の本を読んでいたというのだから、日本でトップをひた走るのも頷けます。1968年生まれと、キャリアからすればびっくりの年齢です。

魑魅魍魎で怪しい百鬼夜行の占い(占星術とかタロット)のところを、整備整地しておしゃれな自然公園した人と思っています。

今回、『鏡リュウジの占星術教科書 I 自分を知る編』と、『鏡リュウジの占星術教科書 II 相性と未来を知る編』の2冊が同時刊行されました。

『鏡リュウジの占星術教科書』は、占星術を始めたい人には最高の教科書

内容は、モダンと言われる占星術の手引きです。ホロスコープの説明があり、それを(パソコンを利用して)作成したら、あとはこの本で該当箇所を読んでいけばホロスコープの解読ができるというもの。

わかりやすく、量もバランスよく書かれています。

その鏡氏のデビューした頃にも、こういった本は2冊ありました。ルル・ラブア『占星術の見方』と(ルル氏はもう1冊、新書で類似の本を書いていて、さらに『占星術の見方』はほぼ同じに別の本として出ている)、流智明『占星学教本』というものです。
その後も占星術の本は多々出版されていますが、こういった初心者向けの手引きはほとんどなく、ましてや「わかりやすく、かつ、俺流占星術みたいな押し付け感のないもの」は記憶にありません。

標準とか、一般とかいうと、占いの世界では激しい反感を買うことが多いです。
「お前が中心だと思っているのか?」「お前はこれを知っているのか? 全貌も知らずに語るな」とか。(占いなんてどうでもいい人からすると、それが目くそ鼻くその戦いなのですが、専門家には戦いたい場面はあるのでしょう。

自分が読んだ感覚としては、一般的とか基本的とか、プレーンな書き方をしているという印象です。
この本を読んで占星術を始めたら、その先で自分の興味を持てる方向に進んでいけることでしょう。

ここには鏡氏の得意とする心理占星術の話はないです。フロイトやユングという、心理学という世界の人からしたら鼻で笑われてしまうかもしれないものを、占星術やタロットカードを使う人は心理学だと思っています。夢判断とかトラウマとかアーキタイプとか集合的無意識とかシンクロニシティとか。そういったものを占いの世界に取り入れて融合を図るという心理占星術については、ここでは出てきません。
いつものソフトでイメージを喚起する夢を感じる世界を描く、トークとテキスト。それもここにはありません。淡々とこれが出ている時はこう解釈する、ということを綴っています。

まさに教科書としてはうってつけ。
占星術の本だと、こういった教科書風のことをいいながらも、著者が「俺、こんなことも知ってんだぜ」というのか「まぁ、あんたには早いだろうけど、こういうもあるぜ」的なコラムが挿入されていたりもしますが、それもありません。
日本の占星術シーンに心理占星術の一端、そして海外の新しい占星術を紹介したのも鏡氏であり、それが小惑星カイロン(当時はキローンと書いていた)です。その話も附録として別の章を設けて最後に書いてはいるけれど、教科書としてのテキストには混ぜていません。この書き方はとてもよいと思います。

著者もあとがきで触れていますが、今回の本のようなモダンと言われるアラン・レオ以降の占星術とも言われるものについて書いたものであり、海外では心理占星術のあとに注目され復興された古典(ウィリアムリリーの時代の、更にその前の時代に遡る)占星術についても書かれてはいません。
奇しくも、少々前にウィリアム・リリーの『クリスチャン・アストロロジー』が日本でも出版(3章が先に出版され、1章+2章が先日出版)されています。鏡氏はそこにも帯にコメントを寄せていたり、対談等しているようで、自分の目指すところではないけれど十二分な知識を持ち、日本での裾野の広がりにも大きく貢献しています。

わかっていて書かない、というのも、なかなかできるものではないと思います。
それだけにこの『教科書』が、最低限必要なものというのか、これがあれば占いが出来るというところまでシェイプアップしたということがわかります。

この本の I だけだと、ホロスコープから、その人の性格とか傾向を読み取るだけになります。それは占いというより性格診断の部類です。いつか書くと思いますが、排斥すべき『血液型占い』というものは、この性格の分類までしかできません。
今日の運勢はどうなのか、とか、いつの運勢はどうなのか、ということを見て、やっと占いになると考えます。運勢という言葉が適切なのかはわかりませんが、人が成長したり変化していくこと、そして未来に何がおこるのかを予測して、占いが『使えるもの』になると考えてます。
ここでは II のほうがそれを担っています。同時に刊行した意味は理解できます。むしろ、2冊同時などなかなかできるご時世ではないのに、さすがの著者です。

最近の占い界隈の一端

でも、現実としては、占星術は衰退しているように感じます。
それが非科学的だからということが一番の理由ではないと思っています。

人々が文章を読まなくなったから。そして書ける人も減っているから。
占星術に…というよりも、根本的に読もうとしないんでしょうね。

占いはネット(や出版)ではキラーコンテンツと言われたこともあります。
リピーターを呼びやすいアイテムです。

しかし、実際に占いが役に立たないのは3.11などでよくわかったはず。
大型の災害は特に、それ以外でも世間の人が注目するなにかがあると、占いサイトへのアクセスは激減し、占いダイヤルへの電話数も減少すると言われています。(言われてると言うより、実際、見聞きしたのですが…)
人々が現実的になったことや、お金を払うことにシビアになったこともあり、占いというものは衰退していると感じています。乱立していた占いサイトや占いコラムも自然消滅していくことを感じています。

この本によって参入しやすくはなるでしょうね。
占いに興味を持っている人は、この本を手にすれば、占星術を始められます。
自分を占ってみて、周囲の人を占ってみる、ということはできます。
そこで「あぁ、こんなもんか」と思ってしまうならやめればよいのだし。
「面白い、もっと学んでいきたい」と思うなら、次は心理占星術でも、古典占星術でも、色々なこまかい技法でも見つけていけばよいと思います。

それでも今の衰退の歯止めにはならなそう。新規参入組がいても離脱組のほうが多いでしょうから。そこは少々残念だったりもします。

運命とか決まった未来ということではなくて、多くの人の思考とは全く違った占いという不可思議なものの意見というものも、面白かったりもします。
占う側からするとパズルをといていく感じ、キャラクター設定をする感じ、ストーリーを書く感じ、そんな創作意欲というのか、描き出す楽しさがあります。そのバックボーンにそうとう面倒くさい理屈がいっぱいあるのですが、そこをどう変換して言葉にして伝えるか。

占いが不可思議なものだから、恋という理屈で説明しきれない不可思議なものを見るには適していると感じています。この II のほうに相性の見方が書かれているのは、そういうことなんじゃないかと勝手に想像もしています。