月に関するあれこれ

投稿者: | 2019年1月25日

スーパームーン

先日の満月がスーパームーンだと言われていましたが、セーラームーンならともかく、スーパームーンという言葉はここ数年で聞くようになりました。

月に魅せられる人は多いみたいです。

(これは以前に購入した素材集の写真です)

新月と満月

新月と満月という言葉は、英語の new moon と full moon の直訳だというのも、最近知りました。以前からの日本語では、朔(さく)と望月(もちづき)です。

日本語が…なのか、日本人なのか、雅なもので月に名前がついています。
新月のあと三日目の月が三日月。クレセントやクロワッサンは、この三日月の形のことのようですが、三日月と言えば新月後で三日目の月です。新月のあと、太陽を基準に考えると、月の出では太陽より遅れていきます。月の入りも同じく遅くなります。新月のあとですから、月は太陽のあとから登り(太陽の光が明るくて見えない)、太陽が沈んで簿暮の中にうっすら見える細い月。最高に条件が整った場合、一番細い月が見えるのは8.5度くらい太陽から離れた時のようです。先月の、約17時間後に太陽が沈み、空が晴れ、障害物がないところで、なんとか肉眼で見える月です。三日月は30度から40度離れているあたりと思います。この頃なら探さなくてもわかるくらいにはなっているし、日没後の薄暮が17度くらいとすれば、薄暮が終わってからも低い位置に月があることになります。

太陽が先に出てあとから月が登り、太陽の後に沈んでいくという印象を受ける期間が新月から満月の間。
今度は西の地平線に太陽が沈んでから東の地平線から出てくるようになるのが満月以降。これは太陽が沈んでから月が出ていますが、そのあとには月が見えているところに太陽が昇ってきて朝になる期間です。

月見は日が沈んだあとに昇る月のようです。満月のあとの月には名前がついています。
十五夜が満月。翌日は十六夜。いざよいは迷いながら(ためらいながら)昇る月なんだとか。
そこからは、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、伏待月(ふしまちづき、または寝待月)、更待月(ふけまちづか)と、毎日に名前があります。立って待っていたのが、座るくらいになり、寝て待つくらいに遅くなりって、どんだけ月が好きなんだよ? 夜が更けてきたころの月が更待月ですが、このあと明け方の月は(何日目ということもなく)有明の月になります。寝ちゃうんでしょうね。
いえ、雅ですね、日本人。

満月にお祈り

ときどき、満月にお祈りと言っている人を見かけます。
人それぞれ、なにをどう考えようと、法に反しなければなにをしようと構わないというか、文句を言う筋合いではありません。
その前提で少し占星術的考察をします。

満月が良いのか?
それはノーでしょう。
満月は太陽と月がホロスコープ上で反対の位置、180度の関係はオポジションと呼ばれる悪い相です。対立しあう、ぶつかるなど、緊張と衝突。輝きということでも、占星術は光が増すことをよしとするので、新月から満月までの間の(一部のタイミングを除く)期間が力を増していくと考えます。つまり、満月はバケツに目一杯水が入っているような、ここが限界、頂点、あとは下がっていくだけ、というポイントです。
アニメなどで満月はテーマにしやすいとは思います。でも、それをやるなら、本当に満月にぴったりの瞬間を狙うくらいでないと。

それなら、いつが良いのかです。
満月の反対の新月。
占星術では、太陽の前後17度の範囲をunder the sun beamsと言い、星の光が太陽にかき消されて力を発揮できない悪いエリアになります。さらに、太陽の前後8.5度はcombustと言って、太陽に焼かれてしまう悪いエリアです。(重複はしません。また、双方、少し性質は違います。)これは、薄暮と、なんとか月を見ることができる限界点に由来しているのではないかと思います。
しかし、月に限らず、星が太陽と0度17分の同じ黄緯を持つとき、それは星が王者の太陽に抱き抱えられた状態であり、cazimiという、とてもよい状態とされます。
このcazimiの中でも、光が減退している新月前でなく、光が増加に転じる新月ちょうどからわすがの間。空の度数にして0度17分。時間にして40分程度。ここが一番いい時間帯ということになります。
しかし、そのタイミングを知るのは難しく、日蝕でもないかぎり目で見ることはできません。

月に祈りを…というのも、それはそれで心にはよいものなのかもしれません。
お願いするなら他をあたったほうがいいようにも思います。