185系もあと少し

投稿者: | 2019年7月3日

なくなると言われると少しだけさみしい車両

JR東日本 185系。
今では「踊り子」号とライナー運用に残るのみ。
これは田町駅で、伊東方面に向かう特急「踊り子」を後追いで撮ったもの。
鉄な人からすると、軽くブレてるわ、後追いだわ、影がかかってるわで、ロクな写真じゃないですね。

0番台と言われる東海道線向けと、200番台と言われる「上野~大宮の新幹線リレー号」や上野からの新特急に利用されたものの2タイプがあります。仕様はほぼ同じ。後者は横軽対策と耐寒耐雪装備があります。

とか言うけれど、今では珍しい窓があく電車。当時は急行用は窓があいて、特急用は窓が固定されて開かないという差が明確でした。それよりもっと前の時代、特急車両は冷暖房完備で作られたから窓が開かなくても良かったんじゃないかと思います。この185系が運用されることで淘汰された153系、165系という急行型車両は、初期の車両は冷房装置がない状態で製造されています。(後に、全車搭載。)
ちなみに、電車のエアコンは一部特殊な車両以外は屋根に積んでいます。冷房装置が重いため後から搭載した車両は車体の強化も必要でけっこうな大工事になります。

この窓が開く構造もけっこう辛くて、真冬になると窓からはいる隙間風がとても寒かったです。前橋の客先からの帰りに利用することが多かったです。客先最寄り駅から自宅最寄り駅まで乗換なしなので、高崎と大宮の間で新幹線を使うよりも楽で、乗り換え時間考えると大差ないためです。列車によっては1両に5人くらいしか乗ってないこともあるほどで、隙間風が寒く感じたのは人の少なさにもよるのかも。いや、ほんと、寒かったんです。

特急用といいつつ、通常の特急車両よりはドアの幅を広くして各駅停車にも利用することを意識しましたが、片側に2つしか扉がなくて(通勤電車は4つで両開きで、さらに幅も広い)、車内にはデッキもあり、シートは転回クロスシート。乗れる人数も少なく、とにかく乗り降りに時間がかかるため普通電車として使うのは早朝と夜遅くとか、上野や東京には来ない列車などに絞られていきました。

最後まで残ったのは、東京発7:24分の熱海行き各駅停車。
これがまた人気で混む上にけっこういい時間帯なので通勤客も多くて、横浜や藤沢あたりでは乗降が難しくなるほどで常に数分の遅延で運転されるようなありさま。

同じ車両を使う「踊り子」と比べて特急料金不要でかかる時間も大差なくて、特にグリーン車は自由席で安いため、お得感がありました。

当時藤沢に通う仕事だったから、8時半ころに付けばいいときは利用したこともあります。グリーン回数券なんてものもあったので、それで東京から藤沢まで乗ることも。休日はグリーン車が速攻で満席になります。湯河原~熱海~伊東のあたりの温泉や観光に行くと思われる人が多数。

その頃、客先には鉄な人がいて、
「今日、7:24デキたんですよ」
「あれですか」
「グリーン回数券もあったので、せっかくだから」
「あれ、グリーンって1両だから混みますよね」
「1両なのは、平日と土曜で、チタのBとCで運転される場合で、今日は日曜だからチタのAなんで2両です」
「そうなんですか~」
なんて会話をしてたら、周囲から、意味わからん、と。

田町の車庫に所属するA編成は10両でグリーン車2両の0番台基本編成。
C編成は付属の5両編成。B編成は新前橋に所属していたものが田町に移ってきた組で、7両編成のグリーン車1両という200番台。

185系と似た車両

そういえば、この185系がデビューした頃、関西では「新快速」に117系という車両がデビューしていて、類似の性能や似た感じの車体でした。デッキがなくてドアも車体の端ではなく中央寄りで185系よりも扉は広いもの。こちらは新快速という通り、特急ではないから追加料金不要。比較されたものです。
117系がそんなにいい車両だったかと言われると、それほどでもないけれど、関西のスピード競争の中で私鉄に負けない車両(ちょっと豪華で追加料金不要)を新快速に投入するために作ったわけで、京都~神戸を中心とした京阪神を駆け抜ける列車としてトータル的には評価は高かったと思います。
特急料金取るのに車両としてのレベルはいまいち。最高速度が110km/hという設計で、かつ、新特急だと停車駅が快速並みに多くて速達性も不足。新快速の117系と比較されて揶揄されることも多かったです。(個人の感想 [要出典] )

写真はリニア・鉄道館に保存されている117系。
休憩スペースにするため強引に家庭用クーラーを搭載していたり、3両編成にするなど鉄な人からしたら残念な扱いを受けてました。

JR東日本の車両はVVVF制御に移っています。185系は何世代も前の旧型とも言える抵抗制御。よくこんな時代まで残ったものです。

そういえば、2扉の車両は東海道線向けで215系というのもいました。

2階建て車両です。当初は快速に投入したものの、やはりドアが片側2箇所のため乗降に時間がかかって常に遅延。2階建てで人数が積めることもあり、15両で運転されることも多かった東海道線にあっても10両編成で4本40両の製作のため、15両運転ができません。
40両より増えることもなく、快速からは撤退してライナー中心の運用。休日でこそ、ホリデー快速として山梨方面への運用もありましたが、車庫で寝ている…といってもぞんざいな扱いというのか仲間はずれというか、わざわざ茅ヶ崎の側線に回送されて昼間はお休み、夕方になると茅ヶ崎から東京まで回送の上でライナーとか、客乗せるのと回送と大差ないでしょってくらいの運用がされています。
これは界磁添加励磁制御の車両とはいえ、使い勝手の悪さもあり姿を消す日も、さほど遠くはないかと思います。
(写真は甲府駅に「ホリデー快速山梨」で来た車両が側線に転線して止まっているものだったような…)

乗りに行くこともないけど…

消えてくのは少々寂しいものです。
この塗装は、一時期、東海道線で塗装変更されていたときのもの。

田町の車庫に所属していた「踊り子」用のあとに、新前橋所属の新幹線リレーと上野発の新特急用が増備され、その後、一部が新前橋から田町に転属になり…。その後は東大宮に所属することになりました。
上野東京ラインとして、上野と東京の間が(大昔はつながってた)再度、つながることになる前は、東大宮からの回送で武蔵野線を使うこともありました。東大宮から貨物線で西浦和にいき、新秋津とか西国分寺は間の線で止まっている時間もあったようです。そのあと府中本町(ホームのない線)を通り武蔵野貨物線で大船のほうまで抜けて東海道線に入り、そこからライナーや踊り子で運転。今は上野東京ライン経由で回送されます。尾久の車庫に止まっている車両もあり、上野をスルーして東京駅から「踊り子」になります。

地元を含めて見る機会、乗る機会もある車両でした。

時代は変わっていきますね。

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