多発性骨髄腫体験記 (1)

投稿者: | 2026年1月24日

これは多発性骨髄腫を診断された自分の体験記です

このブログの内容は医療情報の提供の意図ではなく、体験記として「自分の場合はこうでした」ということを書くものです。病気そのものの説明は、このような個人ブログよりも医療情報として提供してくれている病院や製薬会社のサイトを見てください。
医療の面からは正しくない情報が含まれるかもしれません。同じことをすれば同じ結果になるというものでもありません。

自分の場合はどうだったのか、そして、治療についてわからないことばかりで不安かと思います。入院の時など、自分はこうした、というものなど、書いていきます。

1年くらい前の不安な気持ちだった自分と同じような人がいたら、参考になればと思います。
物語とか、読ませるための記事ではなくて、同じ病気の人がたどり着くかもしれないなと思って書くものなので、この初回の記事に一通りのことを書きます。そして詳細を追加していきます。

経過

2024年6月 かかりつけ医の先生から「近日中にクリニックに来て下さい」の電話が来ました。
2024年7月 「血液の数値がおかしく、赤血球が少ないので大きな病院で診察を受けたほうがいい」と言われました。とりあえず、クリニックでの経過観察を希望しました。
2024年9月~10月頃 いわゆる、貧血の症状で会談の上り下りでハァハァするようなことはありました。
2024年11月 「この状態が続くのは血液の病気を疑う場面なので、紹介状を書きますからどこか血液内科のある病院へ」とのことで近くの大きな病院を紹介してもらいました。
2024年11月 歩いていける距離の大病院の血液内科で「多発性骨髄腫」と診察されました。
2024年12月2日 病院に入院して抗がん剤治療を開始しました。
2024年12月4日 抗がん剤(皮下注射)初回。
2024年12月7日 抗がん剤(皮下注射)2回め。
2024年12月8日 発熱して「新型コロナ感染」の診断。
2024年12月8日~コロナの対応で多発性骨髄腫の治療は中止。
2024年12月17日 治療中止で「退院許可」だそうで…熱があるなか退院。

2025年 1月 病院を変えることにして、紹介状を書いてもらいました。
2025年 1月27日 家から7kmほど離れた病院で初診、検査
2025年 2月 5日 治療開始。抗がん剤は皮下注射。飲み薬数種類。

以降、3週間、月曜日に通院して抗がん剤の皮下注射、1週休みのセットを実施しました。飲み薬は数種類を毎日です。

薬の副作用は多少ありました。詳しくはのちほど書きますが、3カ月ほど経過したら全身が真っ赤になってかゆくてたらまん…というものが一番つらかったです。薬をやめれば(入院~移植のタイミング)戻るとは言われてはいましたが、糖尿の傾向が出てしまったので1カ月程度は食事を大きく制限をしています。

3月までは週2日で働いていましたし、それ以外の日は叔母の介護の支援に出ることが多かったです。糖尿の傾向が出てからは気を付けましたが、色々食べて、ちょっとお酒も飲んでいたり…。それまでと変わらない状態。さらに貧血が改善の傾向でした。

2025年4月 薬の反応がとてもよく良好な状態なので早期に移植に入りましょう、という先生からの提案で、5月中旬からの入院の方針に。(1週遅れて下旬から入院に変更になりました。)
2025年5月23日 入院
2025年5月27日 幹細胞採取
2025年6月2日、3日 前処置。強い薬を投入…
2025年6月4日 移植(5/27に採取した幹細胞を戻す)

入院中は楽ではないです。でも、幹細胞採取が「ずっと両手を動かせないまま6時間」で、ここがとにかくつらかった。副作用は、自分は「聞いていたよりも断然ラクだった」です。
このあたりも詳しくは、後程書きます。多分、同じ病気の人は一番気になると思うので。

2025年7月5日 退院。家に戻って車でラーメン屋行って昼食、叔母の家に見舞いに行って戻ってきました。夜、ちょっとお酒も飲んだことは先生には言えません。多分、副作用も少なかったのでしょう。元気です。

真夏でしたが、週に3日程度は自転車(シティサイクル)で1時間くらいは走っていたり、体を動かすなどしていて、「スゲェ体調いい!」感じでした。

2025年8月 「感染症に注意すれば、生活の制限なし」と言われました。「数値も戻っていて、良好な状態なので再発防止の維持療法を始めましょう」ということで、ここから再度の抗がん剤治療です。
この抗がん剤は飲み薬です。週に1回、月曜に飲んで、3週飲んだら1週開ける。合わせてその他の薬は毎日飲みます。

自分では、かなり良好な部類だと思っています。食事制限は早々になくなりました。もともと国内しか旅行しませんが、秋には保養所と温泉と、1泊で出かけています。仕事はしていません。今の感じではフルタイム、毎日はキツいかもしれませんが、体調的には働けるとは思います。そのあたりも後で書きます。日常生活には困っていません。

多くの人が気になるであろうこと

多分、多くの人が気になるであろうことを書いておきます。

抗がん剤


抗がん剤は、全然怖くないです。もちろん、人によっては副作用も出るでしょう。
以前のドラマとかで見たような、全身真っ黒になって体はやせ細ってしまうような、「抗がん剤は強いから、自分の体と病気と一緒に攻撃しちゃう」みたいな話をしていましたが、今は分子標的治療というそうで、がん細胞がもつ特定の分子を狙い撃ちするものです。詳しく知りたい人は製薬会社のサイトなど見てください。
ちなみに、秋に久々に会った人には「けっこう顔が黒くなっているみたいですが、やはり薬ですよね」と言われて「いえ、夏場に調子こいてチャリで出歩いていた日焼けが残ってます」という具合。先生からも「日焼けしているけれど、気を付けたほうがいいですよ」と言われたころには秋が来ていた、という。

自分は、入院前の分は皮下注射でした。病院に行って受付して、オンコロジーセンターに向かい、そこで受付して、事前の飲み薬を飲んで、椅子状のベッドに寝て(座って)お腹を出したら、そこに注射。本当はゆっくり注射するそうですが、ちょろっと5秒程度で終わらせてしまう看護師さんもいました。
「お腹の脂身が厚いんですが、これ、深く差さないとだめとか、油で成分が溶けちゃうとかないですよね?」と聞いたところ、「大丈夫ですよ~」で、チクリと刺す程度。予防接種をお腹でやるくらいに想像すればよいと思います。

退院後の維持療法の抗がん剤は飲み薬です。お手軽過ぎてびっくりです。

これから治療に向かう人へ


治療にあたって「辛かったこと」と「痛かったこと」については、以下のものがあります。
前の病院で診察の際に骨髄を採取するというものがありました。

病院によっては肋骨と骨盤の2カ所のケースもあるとは聞きましたが、自分が受けたものは骨盤でした。うつぶせに寝て、押さえつけられて(麻酔はしてくれます)お尻の側の骨盤に何か機械で穴をあけつつ骨の中の骨髄を採取します。10分くらいの体感ですが、これはかなりの激痛です。看護師さんも「叫んでいいですよ~」とか言ってくれましたが、左股関節に人工関節を入れる手術をした当日夜の激痛を経験しているから「大差ないな~」でした。採取した後も少しすれば家に帰れます。入院ではなかったです。
このデーターが渡っていたのか、転院先では検査がありませんでした。転院先の病院の場合、1日入院でやるという話もしていました。

入院中は右上腕部から心臓に近いあたりまでカテーテルが入ります。(前の病院の時は右手の手首より少し上でした。)ずっと体に針が刺さって、管が入っている…というので恐怖感がありますが、自分はとても楽でした。針を挿してくれた先生が絶妙にうまかったのだと思います。基本は上腕らしいですが、人によっては首からになるそうで、説明のパンフレットではどちらかわからず「首は嫌だ…」とかなり憂鬱でしたが「上腕ですよ~」と言われてほっとしました。この部分をカバーで覆えばシャワーも浴びられます。

朝9時過ぎに両腕に長い針をさし、「夕方まで抜けません」と言われる、幹細胞採取はとにかくつらかったです。痛いのではなくて、手を動かせないというのがこれほど強烈なストレスなのかと…。この時は、とても気を使ってくれて、親切にしてくれた看護師さんには絶大な感謝をしています。技師の方も親切でした。針を刺してくれた先生は、カテーテルを処置してくれた先生と同じ人ですが、技師の方から「針の挿し方がすごくいいですね。採取が止まることなく速いペースでできています」と。10時開始、17時頃までかかるのが普通のようですが、13時頃に聞いたら「15時過ぎには終わりそうですよ」と言われ、実際には15時半頃に終わっています。

その他、想定された副作用もいろいろあったけれど、自分には軽めに出たのではないかと思います。詳しくは、移植後の話を書くところで詳細を書きます。

余命の話


やはり余命は気になりますよね。
「数値を見るとステージ3ですよね?」と(前の病院の)医者に聞いたときは「3だけれど、あれはあまり関係ないよ」と。実際、体にどれくらいの影響が出ているかが問題だそうです。自分の場合は、貧血で息苦しくなることがあるのと爪が割れやすい状態がありました。骨病変(や、骨折)などで多発性骨髄腫がわかったわけではないし、内臓も絶好調とは言えないまでもトラブルが起きているわけではない状態でした。
診断されたときの血液検査の値を書いておきます。
IgA 7449.0、アルブミン3.0、クレチアニン 1.08、白血球 4.3、赤血球249です。

前の病院では「あと2~3年です」と言われて、治療する際には「治療をして5年を目標にしますか」などと言われていました。

ただし、かかりつけ医の先生は「今の時代で、2~3年なんてありえない。5年とか10年と言われるような病気です」と言っていました。それなので、転院先の病院で、まず、聞いたのがこれです。
転院先の先生は、力強く答えてくれました。「今の時代は治療が進んでいます。薬の反応や移植の結果などにもよります。移植をしても再発はします。でも、いい薬がたくさんできている上に、さらに新しい薬が開発されています。それを使って抑えていけば、天寿を全うできるとまでは言えませんが、それに近いところまで、慢性疾患のように付き合っていける病気です」と。今の時点で余命の話なんてできない、という感じでしたが、移植が終わって今のような状態になると「今、気にする問題ではない、かなり先」ということのようです。

自分が見たり、聞いてきたりしたものでは、5年後生存率40%だとか、移植がうまくいけば5年後生存率80%だけれど10年後は20%というものもあるし、維持療法をする際に、再発までの中央値は2年1カ月で、維持療法をすれば2年6か月になる、とも聞きました。
でも、薬がどんどん開発され効果が確認されている病気でもある、とも聞きます。今の5年後生存率は、今の治療に進んでくる過程に治療をされていた先人たちの値。「5年前に診断された人」が今どれくらい生きてらっしゃるか。前の病院の医者でさえ「今の治療だったら5年後生存率は60%とか70%にあがるんじゃないか?」なんて言っていました。

がんと言われると、「終わった…」と思ったり、「余命どれくらい?」と気になったり、「がんの最後のほうのステージだったら、宣告されたときは余命3カ月とか半年だよね」なんて考えたりするものですが、多発性骨髄腫は少々違うみたいです。
そうはいっても、再発もすれば、いつかは死を迎えます。末期は凄惨な最期だ、苦しむ…という話も見聞きしますが、どうにも具体的な話はわかりません。前進の骨が痛んで苦痛がすごいとか? 前の病院の医者に聞いたときは「日本には安楽死はないからね…」とぼそっと。痛みだけであれば、今の医療は「痛みのコントロールはかなりの部分でできるようになっている」とかかりつけ医の先生が行っていました。(かかりつけ医の先生は「痛みはできても、かゆいのはコントロールしづらいんですよね」と。) 今の主治医の先生は、答えてくれなかったですが、人によって違うというのもあれば、今は最後がどうとか気にする状況にはないくらい長く生きられそうだということのようです。
がんであれば1週間何も食べられないとか、どこかの部位が異様に痛むとか、明確な症状が出ていて病院に運ばれたときにはステージ4です…と言われるケースもあります。そういう人を数名知っています。あと3カ月、あと半年、そういわれて、それよりは生きたとしても何年もという例は稀。(知ってはいます。)そして、その状態だと病状が出る前と同じような生活、つまりは、歩けたり、働けたり、旅行に行けたりという生活ができる時間は余命のうちの半分くらいじゃないかと感じています。自分もあと2~3年と言われたときには、「あぁ、家にある古いエロ本、捨ててきますね。えぐいのはなくてマイルドなのばかりですが」なんて言って笑っていましたが、あと3カ月と言われたらそんな時間が取れるかどうか。
最後は辛そうです。でも、それまでの時間は長くとれそうです。そして、それを先延ばしすることはできそうですから、これが伸びれば、ほかが原因で死を迎えるかもしれません。
「最後のことは、今、気にすることではない」のでしょう。

治療費


お金のことも気になりますか?
日本には、素晴らしい、高額療養費の制度があります。あの上限値が目安になります。
目安と言ったのは、あの制度に入らない入院時の食事などがある点。入院して移植をするというようなタイミング以外は、毎月、高額療養費の上限で止まります。
上限はそれぞれの収入によって違うので、いくらかは判断してください。入院時も、個室でなければ食費とか準備で購入するものの費用なので大したことはないと思ってよいでしょう。国保の人ならば市役所(区役所)で高額療養費の限度額適用認定証をもらっておいたほうがいいです。社保でも制度はあるはずです。払っておいてあとで請求するというのもそれなりに手間ですし、計算等で間違えないで済みます。大きな病院だとカード払いができますから、一度カードで払ってカードのポイントをもらおうと考えるなら、あとからでもいいですけど。
自分は個室を希望しました。かなりの金額がかかりましたが、それが良かったと思っています。これは会社の健康保険組合とか、入っている医療保険によっては、全額や半額、期間限定など条件は違うとしても申請すればもらえる可能性があります。それは調べてみてください。

最初の記事の終わりに


初回は一通りのことを書いたので、それぞれの詳細は次回からです。
今までの治療とこれからのこと。自分の多発性骨髄腫について書いてみたいと思います。

この病気を(ステージ3になっていたけれど、骨折や内臓障害がでる前に)みつけるきっかけを作ってくれたかかりつけ医の先生には感謝しています。この先生はそれでなくても神ではないかと思うくらいに素晴らしい先生です。
最初の病院の医師も、相性の問題だったとは思います。この人も土日含めて毎日病院に来てるんじゃないかと思うほどに、毎日、病室に来ました。30秒とか1分でも。「ほかにもっとつらい患者もいるからね」と言っていたので、自分に対する扱いは何なん? と思う部分はるけれど、そこまで働くのか…とは思いました。自分を犠牲にするほどで医療に従事する姿は、感謝もしています。
新しい病院では主治医がいて、病棟には数名の医師がいて、それぞれ良い先生だったと思います。看護師さんにもとてもお世話になりました。こちらの主治医の先生も「次回の診察、その時間だと先生の昼食が取れないんじゃないですか?」なんて心配で聞いてしまう時間だったり、月曜外来、火曜から金曜も回診とか来てくれて、土曜の朝の回診で来たのに、夜に発熱したら「今日、あの先生が救急で夜勤だから連絡しますね」って、びっくりです。夜に一度来てくれて、そのあと日曜朝まで救急対応で、月曜は朝から外来。そして看護師さんたちも気を使ってくれましたし、幹細胞採取の時の看護師さんの細やかな気遣いなど、感謝するところはとても多いです。

入院中世話になった人もいるし、応援してくれる友人もいました。

「嫁も子供もいない人生だし、もうやりたいと思うほどのこともないし、死んでもいいかなぁ。悲惨なのは嫌だけれど、2~3年あればもういいよ」くらいに思っていたりもしたのですが、こういった人たちへの感謝の気持ちと同時に、自分のためにやってくれたことを考えれば、「死んでもいいかな」とは言えないな…という気持ちになりました。
だからって、エンジョイしすぎだろ! と怒られてしまうかもしれませんが、作ってくれた時間と、楽しめる体にしてくれたこと、とても感謝しています。