これは多発性骨髄腫を診断された自分の体験記です
このブログの内容は医療情報の提供の意図ではなく、体験記として「自分の場合はこうでした」ということを書くものです。病気そのものの説明は、このような個人ブログよりも医療情報として提供してくれている病院や製薬会社のサイトを見てください。
医療の面からは正しくない情報が含まれるかもしれません。同じことをすれば同じ結果になるというものでもありません。
この記事は、3回目です。全体の概要は1回目に書きました。2回目以降はそれぞれ、詳細に書きます。今回は、初回の入院から転院までのあまり参考にならない話です。
多発性骨髄腫体験記 (1)
多発性骨髄腫体験記(2) 発見~診断
自分の場合はどうだったのか、そして、治療についてわからないことばかりで不安かと思います。入院の時など、自分はこうした、というものなど、書いていきます。
1年くらい前の不安な気持ちだった自分と同じような人がいたら、参考になればと思います。
物語とか、読ませるための記事ではなくて、同じ病気の人がたどり着くかもしれないなと思って書くものなので、読みやすさや集客を目的にするものではなく、写真や絵を入れることはあまり考えていません。
今回はあまり参考にならない部分です
1回目で書いたのですが、病院選択を誤ったと思います。今回は、最初に入院した病院へのクレームとか悪口ではありません。
その病院には、悪い印象もあったけれど、良い印象が強かったことと、家から近いという利便性を最優先に選んでしまいました。結果、医者との相性が悪かったのでしょう。医者が決めてその方針で治療をしてくれるほうがいい人もいれば、自分のことはちゃんと説明して欲しいと思う人もいますし、リスクや影響を細かく説明する医者を「何かあっても責任取りたくないタイプだ」と解釈する人もいるでしょう。
しかし、転院はできます。合わないとか、疑問を感じるとか、そういったときは他の病院に転院するという選択はできます。また、自分はこういう経緯をたどったから気持ちが落ち込んでしまったし、かかりつけ医の素晴らしい先生が「そんなことはない」と強く否定してくれた「あと2~3年」ということも、励ましているだけじゃないかなどと思ってしまいました。今回は、同じ病気の人にも参考にはならない話ですが、『医者との相性は大切』『転院はできる』『気持ちが落ち込んで悪い方向に考えてしまうこともある』という内容です。
最初の病院の入院治療
あまり説明もないまま、12月の1カ月間入院をして治療をする、という話になりました。
「どこまでやるかだよね」などと、医師は言っていたし、入院の必要性もよくわからないし。どういう治療をするのかも聞いていませんでした。これも失敗と言えば失敗。
抗がん剤の治療パンフレットは入院日に渡されました。
このページのこれやるから、という説明だけ。DBd療法のページを示され、このページのものです、とだけ。ダラキューロ、ボルテゾミブ、デキサメタゾンです。薬の選択は自分で選べるものでもなく、なんでそれを選んだかとか聞く話でもなく、それはそれでよいのですが、治療内容全体の説明をしてもらえないのはガッカリでした。
週2回、皮下注射の抗がん剤を打ち、飲み薬を飲みます。その他にも数種類の予防薬や副作用に対応する薬が出ます。
その治療は4週セットを1クールとして続けていくものだということは、もらったパンフレットを読んで知りました。また、どれだけ続けるかの説明してもらえてないため、「4週間で終るもの」と思っていた自分には「違うの?」という謎でした。
この治療は通院でもできるようです。最初に1クールを入院でやるために1カ月と言っていたようで、入院した後に「副作用が出ないようなら3週間で退院です」と言われたのも、1クールの最終週は休薬週だからでしょう。病院にいれば感染症にかかりづらいこと、初めての抗がん剤投与ですから、そこで重篤な副作用が出ても病院にいられる安心感はあります。入院の判断はよかったと思います。
「入院したら暇だよ」と、その時の主治医は笑っていました。
入院なので覚悟をして個室を用意してもらいました。
入院したら、毎日のように数時間の点滴をするとか、副作用が出て辛いとかを想像していたけれど全然違いました。ちゃんと説明を受けなかったこちらも悪いのかもしれませんが、聞かなきゃ答えないような内容なのでしょうか?
12月2日 入院
12月4日 初回、抗がん剤治療。事前の飲み薬と皮下注射で数分。
12月6日 二回目、抗がん剤治療。事前の飲み薬と皮下注射で数分。
12月7日夜 熱が出てきて体調が悪くなり…
12月8日朝 コロナ陽性。39度出てたし…
そこからは「隔離です、個室から出ないでください」になり、面会も謝絶。
このあとは点滴をしまくり、熱も下がりづらく、辛い状態が続きました。
12/14に、熱が37.5度以下に下がったことで「退院許可です」とだけ、医者が言いに来ました。許可はいいけど、治療はどうなるんですかって話では「主治医が説明します」と言って去っていき、主治医は全然、説明に来ない。もともと、ふたりの医師が双方説明不足で、双方連携がちゃんと取れていなくて、それでこの対応。
コロナ感染についても、入院して5日過ぎた夜。自分が持ってきた可能性も否定できないのかもしれません。入院してからは下のコンビニに行ったのは1度だけ。(12/7の夕方でそこの時でも体調には何も問題なし。) 個室から出たのは2日に1度の頻度でだけです。
わからない以上、責任取れとか、コロナの治療費はそっちで持てとか言うのもなんですが、ちょっと看護師さんのルーズな感じもあったし、「あ~、私、コロナが治ったばかりだから大丈夫よ~」とか「実は同じ日からコロナになって昨日までお休みでした」なんて言う看護師さんもいたくらいで、俺が持ってきたってことじゃないだろ? と思ってしまったり。自分がコロナの間、サブの医師はインフルエンザで出勤できません…という状況もあり主治医が毎日病院に来ていたし。
隔離解除と言われても、まだ体調悪く、一度の検温で37.5度以下になったけれど次に測れば38度付近の発熱はあるし。退院日にエレベーターに向かう通路から見たら、そのフロアの半分くらいの病室が「隔離」になっていました。
退院直前にとある人から聞いた情報ですが、その階と3つ上の階が壊滅的な状況で半分以上の病室は隔離になっていて、順次、本来のがん治療どころではない、回復したから退院だと追い出されている、とのこと。
退院にあたって、これからの治療はどうなるんですかという質問をしていたのに、医者は全然説明してくれないし、来てもくれません。看護師さんも「連絡しますね」とか、「カルテに書いておきますね」と言ってくれたけれど何もなし。
不信感が強くなってくるのはよいことではないと思います。医師との相性の問題なので相手が悪いというのではなく、自分には合わなかったのだ、と。
退院当日の朝に主治医が来たので、今後の治療はどうなるのか、今の自分の体はどういう状況なのかということを問い詰めるぐらいに聞いたら以下の回答でした。
- コロナにかかったから治療は中止。
- コロナのあとでは抗がん剤は使えない。
- 治療なんて気持ちの問題だ。やってもやらなくても変わらない。
- ヤバくなったら、その時はこっちから言うから、それまでは気にしなくていい。
- もっと深刻になってから考えればいい。
- 余命は2~3年くらい。治療がうまくいっていれば5年くらいだった。
さすがに、びっくりして「これはもうだめだ…」と思いました。
頼りにしているかかりつけ医の先生に相談をしたら、丁寧に対応してくれて、「今の時代、2~3年という数字は意外です。よほどの根拠があるのか、詳細に説明してもらえるようにお願いした方がいいです。普通ならば、薬の反応など見ながら3カ月や半年の治療を見て予測をするものです。」と。かかりつけ医の先生は「まだ貧血しか出ていない状態で見つかったのは、病気としては早いほうです。」とも。それは先生が見つけてくれたようなものなのですが。
退院後の外来でも、やはり説明はほとんどなく、「これ、昔のコロナだったら、死んでたよ」と言われました。今の弱毒性だから生きられたけれど、新型コロナウィルスの世界的流行をしたあの頃のウィルスなら「死んでた」そうです。
そんなことを言われると、「病院で移されたんですよね、個室に入っていたのに!」とか言い返したくもなるけれど、言っても無駄だからあきらめました。もう、別の病院に行こう…と。
この当時は、急に骨が痛み出したり、なんのかんの体調が不調だったりで、とても苦しかったです。あと2~3年かなぁという気持ちも強く、「もともと長生きしたかったわけじゃないから、まぁ、いいか」くらいの気分でした。
でも、何もせずに凄惨な最期を迎える道を歩くのは気が重いです。かかりつけ医に相談しました。
- それなら転院という選択肢もある。
- 移植にチャレンジしたいという気持ちならそれもよいと思う。
- 転院したいと言い出すことは失礼でもなく、医者も不快には思わない。
- 転院しても、再度、戻ってくることもできるし、それも珍しい話ではない。
- 紹介状は、大病院に書いてもらったほうがいい。今までのデータも渡してもらえる。
2025年1月9日の受診日に「やはり移植にチャレンジしたい。」という理由で、自宅から6km程度のところにある大きな病院への転院を希望しました。
わかった…ということで、紹介状は書くから来週取りに来て、向こうの病院には自分で連絡して、という対応。紹介の場合、医療機関から連絡がいくのが普通みたいで、転院先の病院でも転院は医療機関から電話してくれ、という内容が書いてあります。電話くらい自分でかければいいので、自分で連絡しました。